とりあえずなにか話したい

ブックオフでデザインに関する本を数冊買った。それについて解説すると、私はこう思ったのだ。


今私が見てるもののほとんどは人間(誰か)の手によって作られたもので、そこには常にデザインがある。

ハンガーにしろ、テレビにしろ、エアコンにしろ、ドアにしろ、すべてデザインされたものである。「なんでそうなったのか」ということについて、私は何かを知りたいと思った。


人々がいて、村がある。

人々がいれば、そこにはなにがしかのルールがある。風習がある。

一見、何の意味があるのか分からないような、そういうものもある。例えば、マナーや、礼儀というものは、一見無意味なものに私には見える。上座や下座の概念とか、正装など、そういうのは、どうでもいいと思う。

タブーも、私にとって無意味なものがある。染髪やタトゥーを禁止するなどである。勝手にさせればいいだろと思う。

だが、これらには深いところでなんらかの意味があるのかもしれない。だとしたら、その意味とはなんなのだろうか。

染髪やタトゥーを禁止することはほとんど無意味だと思うが、「何かを禁止する」ということは無意味ではない。「なぜ禁止されるのか?」という問いも無意味ではない気がする。

染髪やタトゥーを禁止するということは、一つは身体を改造することについての嫌悪感があると思う。

人間の体、とくに女の体が、異常に、歪められて、例えばつぎはぎとか、質感が無機質になったりとかして、それが映されると、エロいと思う。

なんでエロいんだろう。

これは私の嗜好なので、共感できない人もいるかもしれない。でもこれはわりとよくある嗜好だと思う。


論理で考えて、うまくいくことと、感覚で感じて、うまくいくことがあって、論理と感覚は、得意なことが違う。

それは論理で考えればもっと面白くなったし、それは感覚で考えるべきだったのではないかしら、ということは、あります。

気持ち悪さなんかは、論理でやろうとすると、無残な結果になったりするのではないか。

それはしかし、単に論理のひねりが足りないだけかもしれない。もっと徹底的に論理を重ねると、論理でも気持ち悪いものができるかもしれない。どこまでやればいいのかとかはまだ分からない。


(しかし、論理と感覚を分けたけども、実はこの二つは同じ(あるいは似てる)ものじゃないかという気もする。)


エロい考えが私には満ちている。エロい想像は毎日する。

もっとこのエロいエネルギーを、研ぎ澄ませて、水のレーザーみたいな感じにしたい。

切ない。


自分の中に、子供の自分がいて、そいつをいじめたい、みたいな気持ちは、あります。


SかMかでいうと、自分はSだと思うけど。

SはサービスのS、というけど。もしMが欲しがってたら私に何ができるか、とか、どうやって喜ばせようかとか、考えるもの。

想像するけど、難しそうですね。やったことないし。

それは一種のメシア志向というか、教祖願望みたいな感じだ。

私が罵ったり、叩いたり、もちろんそれは冷徹な管理の下で責任を背負って行いたいのだけど、そういうことをすれば、喜び、救われる人がいるとすれば、やってあげたいと思うのである。

ただ、中には救いようのないバカもいるかもしれなくて、そういうのを救うのは無理だけど。

本当に、救いようのないバカは、無理である。

SMがめっちゃ上手い人とかいるだろうけど、私はやったことないし、やっても下手だろうから、なんかSM上手い人はすごいなって思いますね。


自分の中の小さな子供が、傷ついて、夜中に布団の中で泣いていて、それをもっといじめて、分からせて、何を?この世界は残酷で、自分の思い通りにはいかない、ということを、分からせて、ひとつずつ分かって、今だけかもしれないけど、痛みは薄れるかもしれないけど、今は傷だらけになって、分からされるということが、気持ちいいというのは、あるかもしれませんね。

これはMでしょうな。私です。


目の前の他人と、自分が、違う人間だということを弁えるのは、礼儀だとして、私はなるべく礼儀正しく生きていこうと思ってて。

ただ、愛はそういうのを、越えるっていうか。

目の前の人が、自分と同じ傷ついた子供だと思って、看做して、同じになって、その子をいじめてあげるというのが、愛だとしたら、それも愛だと思うけど、それはもう、めっちゃ難しい。

だから一人で、創作とかしている。

それが愛のすべてではもちろんなくて、ひとつの愛に過ぎないだろうけど。


食べ物で遊ぶのはマナー違反ですけど、エロスで遊ぶのはどうでしょうか。


遊びとは?


遊びには無意味なことが多いですけど。


ところで、無意味っていうのは、意味にフォーカス当ててるので、例えナンセンスやっても、それは意味の領域から抜け出せてはいないわけですね。

意味はあくまで意味の領域からしか判断できないのかな。

意味の領域?


眠れない夜に書き散らすこと多いな。


意味というものを無視したくてナンセンスやっても、ナンセンスって結局「意味ありき」のもので、つまり表がなくなれば裏もなくなるわけで、意味を無視したくても結局は意味から完全には自由になれないのではないか。


だからなんだ?


この、「孫悟空はお釈迦様の手のひらで踊らされていたのでした」的な話、自意識とかでよくありがちなパターンじゃないかしら。

自己言及ってやつか。


どっから手をつければいいんだろうなぁ。

自作「チョコレットEP」について語る

このブログでも何度か言ったような気がしますけど、そろそろ緻密に構築され考え抜かれた音楽を作りたいと思っておりまして。

はい。

もう一昨年の冬になりますけど、私は「マイルドモンキー」というアルバムを作ったのですよ。

あれで、キヅミタとして「一部完」的な気持ちでした。例えるなら、専門学校入ったとして、なんらかの資格を取得したぞみたいな。一応の目的は果たしたぜみたいな。

もうあれで存在感のようなものは示せたという気持ちがあるので、実際には私からはあまり宣伝もしてないし知らない人も多いでしょうけど、まぁとにかく一点取ったなって感じでして。

で、とりあえず、存在感は示せたので、そこからどうするかという話なんですけど。

リリースした翌年の2018年はもう、休んでやろうと思ってたんです。音楽を作るのは。

またすぐ音楽を作り始めたとしても、同じような作り方しか出来そうにないし、私は別の方法で作りたいし。それには余裕が必要だと思って、休んでやろうと思ったのですけど。

まぁ、休んでる間に音楽理論とか、音楽の作り方とか、あるいは作曲に活かせる何かを、インプットしていこうと思ってたんですね。

結果的に、目に見える成果は何もあげられずに去年の夏が過ぎたのですけど。

まぁ失敗ですね。

で、いつものように作ったのが、チョコレットEPです。

バレンタインデーに出したこのEPは、まぁそもそも私は男だし、冗談みたいな軽い気持ちでみなさまにチョコをあげる感じで作りました。

収録楽曲で白と黒を基調にした動画を作ってニコニコに投稿したのですけど、あれはまぁチョコの色ということにしようと。途中からそういうことにしました。

ニコニコは真ん中に「エロス」という曲が挟まれてますが、あれは別に他意はなく、なんか出来たので流れぶったぎるけど投稿したんです。

白がファンタジーというか、ちょっと現実とは違う話で、遊び心って感じなんですけど、黒はもう現実感漂う、ちょっとビターな感じですね。

「丸い龍」以外は少女性みたいなテーマがあるんですよ。「丸い龍」は急いで作ったからね、バレンタインに間に合わすために。


「ぞぞぞ」は、まぁ、とにかく韻を踏んでるわけですけど、ニコニコ版はまぁ、ちょっと押韻ミスってるのですけど。EPでは直したけど。まぁとにかく韻を踏んでるわけですね。

本当は、もっとちゃんとした日本語で、古典とかの知識がもっとあったら、漢語を読むようなそういう歌詞をかけたかもしれないけど、無いから、まぁああいう歌詞になったのだけど。

あとあとになって考えてみれば、詩を言葉の「意味」で組み立てるのではなく、「韻」で組み立てることによって、「意味」をおざなりにしたということなんだと思う。

意味ないとキツいですよね。ちょっと無意味って耐えられなくない?

「ぞぞぞ」はもう、亀の甲羅を焼いて、その亀裂でやる占いみたいなもので、要するに意味を読み取らないといけないんですね。

意味が最初から明確に用意されてはないのですよ。意味じゃなく韻で組み立てたから。それはまぁ、キツいって思うかもしれない。

いや、作った時からそれは意識してはないけど。それに作詞中、韻を主体にしつつ、結局「意味」に寄せていった気もするし。

はい。

「人生の味…」も「ライオン」も、なんか泣いてる女の人がイメージとして浮かんでるんですよ。泣いてる曲ですね。

少女性がテーマといったけど、「人生」とか「ライオン」はもう大人の女性ですね。一番幼いのは「ぞぞぞ」だ。

なんで大人の女性かって、それはもう私が27歳になるからだろうな。

もうなんか最近知ったようなことを書きたい感じですね。

女性を主人公にしたって、その出所(でどころ)は私じゃないですか。つまり「この女性=私」みたいな、なんか気色悪い等式が結びつくのが、ちょっと嫌だから、まぁ概ね自分だけど少し自分とは違うってところを意図的に混ぜたりするんですね。ありませんそういうの?

私は別に「掃除洗濯なんのその」って感じではないし、「注射とか打たれたい」って感じではない。

そろそろ寝ないとな。

丸い龍はね、実は星野源の「恋」みたいなやつ作りたいなと思って、でもあと10日しかない、あー!ってなって、全然違うのができて、まぁイントロが「恋」みたいな、なんとかひねり出したんですけどね。

あのまるでテレビかラジオのジングルみたいな、すごいキャッチーなイントロ、「恋」のやつ。あのキャッチーさ良いなぁと思ってね。

オシャレな感じにしようとしたら、なんか中国音楽っぽくなっちゃうという、あるあるなんですけど。

丸い龍ってねぇ、何色なのかというと、どうなんでしょう。浮いてるのか、それとも地面に半分埋まってるのかとか。

聴いた人は「丸い龍」だから、鱗とか、目とかあるのを想像してるかもしれないけど、単なる無機質な球体ですからね。○←こんなんですよ。●←こんな色かもしれない。ただの「丸」なんですよ。でも作った人が「これは龍だ」と言うから、まぁ、龍なんでしょうって話。


以上。

つじしまみちこさん、goodです

今お酒飲んで大分酔ってるんですけど

イェイ

 

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はい。リピートしてます。

 

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私の話をすると、やられたなって感じもあるんですよ?まぁいいんですけど。

三島由紀夫的ガチガチポエムという、やりたかったことでもあるんですけどね。先にやられちゃったね。

 

 

実際は全然違うけど、私がやりたいようなのはガチガチポエムなんですけど、まぁ似たようなことやられたなって感じ。

 

いや、つじしまみちこさんは三島由紀夫的ではないけど、私はねぇ、三島由紀夫的っていうか、ガチガチポエムも、いつかやることリストに入れてたんですけど。

いや、つじしまみちこさんもあるかもしれないけど。三島由紀夫的なところ。そこはまだ知らないけど。

 

わ、もう12時さ30分じゃん。

あしたも早いし、寝なきゃ。

 

欲情老人のインプロヴィゼーション-Modified、「じぶんはことしにじゅうしちになります」ってところ、私、「にじゅうなな」って読みそうだったなぁって感じ。「にじゅうしち」って読んでるところ、なんか、偉そうですけど、そっちが正解だなぁって。

 

 

別に???

 

ラーメン、食いに行こうかな。

 

いや、寝ます。

明日早いんで。

 

その後。。。(今は一時間後、書いてるのはオナニーして風呂入った後の1時50分)

 

石鹸噛んだ

 

酔っ払って石鹸噛みました。

 

 

私がです。

 

寝なきゃいけないんですよ。

寝ます。

二時やもう。

五時間しか寝れない。

 

 

ベイベー。

 

してない ~あれから俺は音楽理論を勉強したのか?~

音楽理論が勉強できません!!

外的な要因からではなく内的な要因からです。

私には合わないのかな?

あるいはやっぱり環境が悪いのかな?

勉強机がまずないからね。

部屋も乱れてるし。

私がなんで音楽理論を勉強したいのかって、それはもう、違いを見せつけたいからですね。

私は違うぞと言いたいからですよ。

勉強をすることができるというのはもう違いなわけで。

ザ・権威なんですよね。

できる人とできない人がけっこうハッキリ分かれるからね。

あの~

まず私って客観的にみてどうなんですか?

多分、「ボカロわけわからん衆の一人」って感じなんだと思うけれど。

でも、もし私がかなり勉強していたら???

あ、他のわけわからんボカロPとは一味違~うってなりませんか?

それを狙ってるんですけどね。

もうセンスでやるような、面白競争みたいな、そういうのイーッ!って思う。

私は勝ちたい。。。

特別になりたい。。。

そして超越したい。。。

この「勝ちたい」という気持ちをさえも。。。

でも勉強できません!!

いやいやいや

そんな競争なんてしなくていいじゃないって、

ねぇ

理性ではそう思うんですけど

情念がもう

「勝ちたい」って言ってるから

理性は「ハハハ!」って笑ってるんですけどね

「良い良い良い!別に私の音楽なんてどうでもいい!この世が楽しければ!みなさんの音楽を楽しめれば!私なんて別に。は~い」って理性は言ってるんですけど、情念がもう「嫌だ!勝ちたい!自分は天才がいい!!」ってもうダダをこねてるんですけどね。

もうオルターエゴですよ。

エスとね、スーパーエゴが、もうね、バトルですよ。

理性はもう、すべてを許してるんですよ。

理性は頭おかしい。

「ええのええの!私なんかええの!」っていう、もう、自分が女だったら誰にでもサセてあげてるような、そんなもう、自ら食い物にされにいくようなところのある理性なんですけどね。都合のいい人間であることがもう正義だという、そういう理性が、あるんですけど。

でも、なんか自分ってこれじゃダメなんじゃないかなみたいな。シュンってなる時があるんですけど。怒ってないとダメなんじゃない?みたいな。

小心だからダメだ。

で、情念は、人並みですけどね。

ウケたい。承認されたい。天才だと思われたいという。燃えるような情念があるんですけど。まぁ人並みにね。

まぁこいつ(情念)のことがあんまり好きじゃないという会議が、よく開かれてはいるのですけど。自分の中で。寄ってたかって、情念いらない子っていう会議がね。開かれているんですけど。

ただね。やっぱり、情念は黒幕なのかなっていうか。

もう計算計算計算をもうやりまくって、もう、すごいところに行きたいって気持ちがあるんですけど。それって結果的に私は特別ゾーンっていうか、もう情念の思うつぼですよね。

理性で計算計算計算ってやりまくって、情念をかなり、抑え込んで、もう冷たい、黒い霧のような音楽を作ったら、それはもはや、唯一無二であり、情念の思うつぼですよね。

これがアウフヘーベン!!???

だからもう前から思ってるけど、たぶん、数年前とかから思ってるけど、

死んでからですね

なんか、私が死んで、私の霊魂が、生前の私のことを客観的に、眺めて、初めてその時に何か救いのような、ものがあるのではないかという、予感??

ただね、みなさん、みなさんはもうすでにその立場にある

私を他人の目線で見ることができるわけだから

みんなの気持ちがわかりたいよ~

え、みんなって誰??

誰なの~?って感じなんですけど

あ、頑張ろ

ごちゃごちゃ言ってないで頑張れやって話ですけど

 

あのねぇ、今からというか、今後私を知った人って、もう待たずに今までの私のやったことをディグれるので、良いんじゃないですか?

ただ、これって、神の如きみなさんを想像してしまってるのですけどね

つまり、全部聴いてくれる容量があるという、

都合のいいみなさんを想像しているのですけど

だってさ、たとえそれが天才をでも、ディグッたりするの根性要るからね

だからなんか、モデルが違うのよね

姿勢が違うのね

スタンスがちょっと、考えないと

っていうか

私の事だけど

 

いろんなことやりてぇって感じですけど、もう基本的に変わってないのかな

なんか滅茶苦茶HAPPY劇場作ってた頃も似たようなこと考えてた気がするな

マイルドモンキーの頃は確実にこんな感じのこと考えてましたね

いつから?

なんか自分が変わったのって気づかないですよね

ずっと同じな気がするなぁ

だから嫌になっちゃうのかもね

飽きるし

 

カウンセラーか風俗か、教会か、まぁ今のところはインターネットで

理論と技術

私事ですが、音楽を作ろうと思い至ったのはかれこれ10年以上前のことになります。

10年前、私の作曲者の規範はジミ・ヘンドリックス(昔のロックですごい人)でした。楽譜は読めない、音楽理論も知らない、ただ感覚だけで曲を作るというのにカッコよさを感じていたのです。

音楽理論を勉強するということがまったく思い浮かばなかったというわけではありません。でもなんか無知でいる方がカッコいい気がしたのです。

 

今私は音楽を作っています。どんな風に作るかと言えば、パソコンで音楽編集ソフトを開き何か音をいろいろ鳴らしてみて、いい感じの音の並びを見つけたらそこから発展させていくという感じです。

音楽理論も知らずこれでずっと作って来ました。いわば手探りでやってるわけです。

でも理想として音楽編集ソフトを開く前に自分の中で音楽が完成してる方がなんかカッコいいわけですよ。

まず自分の中に確たる音楽があって、それをただ外に出すみたいな、そういうのがカッコいいと思うのです。でも実際、私の中に確たる音楽なんてものはありません。今まで私が作った音楽はほとんど偶然に出来たものです。

時間が経つにつれ、カッコよさげに見えるものもやってみると実は地味な努力の積み重ねだということが分かってくるのですが、そればっかりだとぶっちゃけ飽きるっていうか、やる必要性を感じなくなります。

最近は音楽理論を勉強しまくって曲を作るのもカッコいいかもと思うようになってきました。

ただ、音楽理論を勉強するのは時間がかかります。理論や技術の獲得とは辛く長い修業期間を耐えて着実にやっていくものだという気がします。

めんどくさいですね。ペロッと15日くらいで出来ないんですかね。

ところで私は理論や技術に対する苛立ちがあって、理論や技術を修めた人が偉そうに知らない人に接してるの見るとイラッとします。

多分エリック・サティもそんな感じだったんだと思うんですよ。サティは19か20世紀のフランスの音楽家で、それまでの音楽の伝統に沿わず独自の音楽を作りました。しかしサティは40歳くらいになって音楽学校に入り、たしか2年くらいかけて音楽理論を勉強し直しています。(もっとも、サティを教えた先生は「サティはすでにプロフェッショナルで、私が教えることは何もなかった」と言っており、実際サティは優等の成績で卒業しています)

理論や技術に対する憧れと苛立ちがあります。

いずれは自分を何かに賭けなければならないというのは恐ろしいことですね。

自分に必要そうな難しい理論や技術を垣間見ると、なんだか土下座して謝りたい気持ちになります。土下座というのは丸まって腹を隠し背中を盾にするわけだから、踏んだり蹴られたりすることに対する防御でもあるんですね。

無知ですいませんって気がする。

なぜ自分は何も知らないという気がするのでしょうか。

そんなはずはないんですよ。曲がりなりにも義務教育を受けて、文字だって読めるし、それなりに生きてきたわけだし。

参考書の練習問題とかあっても解かないし、そういうところがダメなのでは?

 

うろ覚えだけどサティさんは市民のための音楽教室とか、子供のためのキャンプとか自主的に開いたそうですよ。よく分かんないけど優しい人だったんですね。

 

理論や技術のために修行するのは仕方ないが、これができるまでこれはやっちゃダメみたいなことは多分なくて、全部自分の責任でなんでもできると思います。

目赤くなるの音楽

目赤くなるという人がいる。初音ミクの音楽を作っている。

この人の音楽は分からない。

私にはこの人の作るような音楽は作れない。

正直、自分の音楽の価値が不安になることもある。(どうでもいい話をすれば、そう不安に感じるのは私の音楽にとって良いことだと思う?私の音楽だけじゃなく、私という人間にとっても良いことだと思う?おそらく)

 

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私は多分、距離感の取り方がまだ青いんだと思う。距離感というか間合いというか。音楽を作る姿勢というか、まだ体が出来てない未熟な気がする。それは自分に余裕がないのだろう。

 

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多分twitterやってなかったら私はこの音楽に出会えなかっただろうし、出会えてもスルーしていただろう。私はもうtwitterをやってないけど、twitterではいろいろな人やものを知れたし、いろいろ私に与えてくれたと思う。

私は分かってない。どれくらい分かってるのか、どれくらい分かってないかも分かってない。

目赤くなるの音楽を何度も聴いて、狂気に対する優しさのようなものを感じた。もっともそれは狂気と呼ばれるの事に不本意かもしれない。

 

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「あ、良い」と感じた。(上の動画を限定して言ったのではなく、目赤くなるの音楽に対して)

見落としやすいが、こんなものがこの世界にはあるんだなと思った。

 

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もっとも私がよくわからなかっただけで、目赤くなるの音楽に感動する人はたくさんいるのだが。

全て私の個人的な感想。

スカスカコンピの宣伝

massatsu.bandcamp.com

 

このたび抹殺レコーズからスカスカコンピが出ました。「音の隙間や空間を生かしたスカスカな音楽を集めたコンピレーション」というのがコンセプトとなります。私も参加しています。金額はいつもと同じで自分で決めることができます。0と入力すればフリーでダウンロードでき50万円でもOKです。

 

スカスカな音楽って良いんですよ。スカスカな音楽と聞いてどんな音楽をイメージしますか?私のイメージは「ダンディな憎いあンちくしょう」です。でもこれは私の個人的な見解であり、このコンピには様々な人が自分のスカスカを追求しています。今私が語った以外のスカスカがここにはたくさんあります。これから一曲ずつレビューを書いていこうと思います。

 

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「hand」 Bt Maly

ソフトでシステマティック。かなり洗練されたスカスカです。音楽にタン・タン・タンと流れる拍の上に乗せられた区切られた音が、始まり、終わり、重なりを繰り返します。短いイベントが割り込み、ある時は盛り上がり、落ち着き、音楽を構成していきます。非常にDTM的な、編集された音楽です。アフリカの朝の鹿、東京の電車の運行、熟練したパン屋さんの仕事、いろんなイメージが沸きます。まるで地球上のさまざまな営みを映しているかのような音楽です。

 

「busy signal」 wtnb

とても優しい悲しみがあります。この孤独はいつからあるのでしょうか。他人なんだと思います。誰にも癒せないのかもしれない。丸く温かい電子的な音。音楽として聴こうと思わなければ無視してしまう日常の喧騒。結論はありません。ただ続けることだけ決めているのでしょうか。たまに休んで、また始める。なにかを確認してるような、自分だけに聞かせる呟き。息をしてるので、まだ生きてるのだと思います。

 

「Switched-on colors」 Ida66

きちんと練習した讃美歌みたいです。押しつけがましい楽しさはなく、自分の持ち分から逸脱することもなく、それぞれがそれぞれを尊重し合ってるような音楽です。息を長く吐かず、てきぱきと家の掃除をするように、たとえがっかりすることがあっても、その時はその時だというように、こまごまと動いて新しい何かを探しているような感じです。このお話はここでおしまい!つづきはまた今度!

 

「soulsoup」 loveles

まろやかに溶けるスープ。あんまり詳しくないですがボサノバ(?)です。スカスカとラテンは相性がいいですね。ラテンのパーカッションはスカスカサウンドです。音の質感がとても良いです。アンニュイで、浸るという感じの音楽です。この曲はイヤホンで聴くよりは、スピーカーで流す方がいいかもしれません。例えばこの曲が16時のラジオから流れてきたら、心がスープのように温められ穏やかな夕べを過ごすことができるでしょう。

 

「Toy」 MSS Sound System

メルヘンな曲です。メルヘンというと自分は迷子をイメージします。不思議なものへの好奇心。この不思議な世界について知らないことばかりの状態。赤ん坊。赤ん坊は自分が笑う理由も知らずに笑います。赤ん坊の見えてる世界がどんなものなのか、赤ん坊だった頃を忘れてしまった今では想像するしかありません。もしかしたら天井に天使がいるのかもしれない。あるいはお母さんが見たら驚きすくみあがってしまうような悪魔に向かって笑ってるのかもしれない。しかし、優しく見守るような歌のこの曲、いるのはきっと天使の方でしょう。

 

殺人の追憶」 solidsmoke

 透明感のある曲です。スカスカコンピには透明感のある曲が多いですね。しかし、透明感も十人十色。静謐な森の中の沼に眠る殺された女。この曲の透明感は何かというと、死の透明感です。空白を孕んだ歌。まるで回線状態の悪い電話のようです。でもそれはとても大切な話で、伝わるまでずっとコールし続ける執念深さがあります。聞こえているでしょうか。自分がなにをされたのかも分からない。どうしてこの沼の底にいるのかも分からない。殺された女が「どうして?」「どうして?」「どうして?」と、ずっと聞いています。可哀い女ですね。

 

「なにもないを置いておきました。ご自由にお取りください。」 ゆらぎと破片

ポルターガイストみたいな曲です。だれもいない部屋で物が動いたりするあれです。理屈に合いません。物を動かす原因があるから物は動くのです。でも何もない。なんだか人を食った話ではありませんか。動く意味が分からない。意味なんてないのかもしれない。じゃあなんで動くんだ?なんで物を動かしたんだ?そもそもこの質問は誰に向かって言ってるのでしょうか。何もないのに変な気持ちです。

 

「ギミジゴク」 裸時 feat.鉛音ピネ

この曲において私は聴く姿勢を変える必要が出てきたのです。これまでの7曲とは違う姿勢で聴かなければならない。頭をフル稼働して起こった現象を解釈する。でもこの曲は一番レビューが書きやすいだろうと思いました。おそらく言葉を考える脳の部分と競合しないのでしょう。非常に音楽的であるため、言語野と重なり合わないのです。この曲は抽象的ではないのかもしれない。超現象的、というか、抽象ではなく、現象そのもののような気がします。

 

「透(き)間」 towelone.

振る舞い。タマネギを細かく刻んで炒めるように、情報が小さく分けられているように感じます。水の中の魚の群れのような、雲の中の電流のような、個々の小さな要素が全体としてまとまり揺らいでいるような感じです。そのような振る舞いが起こる理由は謎であり人間が意識して起こせるわけではないと思わないので、これはかなり感覚的な音楽だと思われます。しかしそれは映画のフィルムの化学的特性を利用したようなクールなものです。

 

「ブラン・ニュー・キッス」 平田義久 feat. 初音ミク

めっちゃアダルトなファンク。都会の夜のイメージがひしひしと伝わります。それも繁華街のゴミゴミした感じではなく、カクテルに溶ける淡い光のようなエレガントなものです。そしてセクシー。この会社の連中は、朝オフィスに来て夕方まで仕事をした後、それぞれのハードでスリリングな人生へと戻っていく。スーツを着たブラックパンサーの夜の顔。腰に響く。楽しい人生。

 

「延命」 鈴木O

別に踊りたくもないのにわざわざ踊ってみせる踊念仏。生活の途中で頭がうわーってなったりするけど、自分は絶対に終われないことは分かってる。人生でいつかあった終わりのポイントを逃したのか、いや果たしてそんなものあったのかしらん。自分はどこからか延命が始まった。嫌で嫌で仕方ないけど、誰にも理解してほしくない。安い共感でこの行き詰った感覚を消費したくない。日常は限りなく透明に近いグレー。だけどこんなこと、真剣に考えるほどでもないんでしょうね。

 

「ぱさぱさしていておいしくない」 kazunocobit

破綻。小さな物語です。物語は進んでいき、終わる。何かが破綻したような寂しさがあります。派手な破たんではなく、然るべき時間が過ぎ、終わるべくして終わったようなものの気がします。もしかしたらそれはワクワクした気持ちかもしれません。美味しそうな果実を拾ったけど、食べてみるとそうでもなかった。例えばジャングルの中でオラウータンがそんな気持ちになることだってあるだろうと思います。この果実はぱさぱさして美味しくない。

 

「タダでマンションに住みたい」 キヅミタ

私の曲です。ダンディな憎いあンちくしょうって感じの曲です。二番の「アハハ(ドーン)→ウホウホ」で頭がパキーンなってもらえたら成功です。ダンディな憎いあンちくしょうって自分の美意識で服を着くずしたりしてると思うんですけど、この曲から滲み出る「ちょっとよれよれな服着てる俺ってカッコいい感」を感じてもらえたら幸いです。

 

「砂上の楼閣」 rjnk

ヒップホップのラップですが、不思議なサウンドです。ベースが不思議。ギュッと詰まった味ですがべ―キングパウダーを混ぜて焼いたように膨らんでいます。ご機嫌で挑発的な曲です。自動筆記的な自由さも感じられます。自動筆記は自由というより、自由への手段です。この曲は「自由への試み」のように感じられます。楽しさ志向というか、象でもシマウマでも楽しければ分け隔てなく手を繋ぐようなそういう感じです。

 

「疎影横斜水清浅」 平田義久

タイトルを調べてみれば中国の古い詩人の作から取られているようです。wikiには梅を詠んだ句だと書いてありました。それを知るまでは郷愁を感じる曲だなぁという感想だったのですが、その郷愁の意味が分かってハッとした次第です。このサウンド編成と中国の詩は意外な取り合わせだったのですが、改めて聞いてみればそうかそうかと納得。知って聞いてみると随所に見えてくる景色があります。これ以上の解説は不要でしょう。ぜひ聴いてみてください。

 

「千の雲」 マグロジュース feat.雪歌ユフ

終わりの曲。空に喪失感を投影して、取り返しのつかない人を悔やむ。きっと別れてしまった人は最後まで優しかったのでしょう。別れる瞬間でさえ優しかったのだと思います。でも終わってしまった。自分が本当に愛していたことに気付いてももう遅い。別れるとき、”私”は「いかないで」という言葉を声に出しては言えなかったのだと思います。”私”から離れていく背中に「いかないで」と伝えることができなかった。そして”私”は初めて他人にも心があることに気付いたのです。簡単には想いが伝わらない、容易に理解できない、”私”とは別の主体の存在に気付いたのです。

 

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