背伸びをしたらなにもかもお終いよ

音楽の話、自分の考え

私のボカロ創作予定

私はもうボカロはしばらく、一年とか出ないと思う

じゃそれ以外を作るのかって、音楽は作りたくないね(とーず氏とのコラボ曲は作るが)

嫌気がさしたんじゃなくて、むしろ続ける気は全然あるのでファンのみなさんは安心してほしいのだけど

まあ今考えてるの、作るのに一年くらいかかるんじゃないの?というかまだ作り始めてもないってだけなんですよ(アルバムなんですけどね)

何が言いたいかって、とりあえず作ったら、あげられるならニコニコにボカロタグつけてあげたいということ

そうすれば、見つからないこともないだろう

まあこのブログにもできたら書くと思う

たとえ聞かなくても、コレクターは知っておきたいものだと思うので

聞けと言うのではない

私のやりたいことを私のためだけにやるつもりで、だからまあもし次にできたものを聞いても分かんない可能性があるし、全然それはオーケーなのよ

これ言ったらネタバラシみたいでアレですけど、全然もうなんか無視されるかもしれないもの作るつもり


いや?

分かるかもしれないよ?


なんでこんな話をしてるのか

「まぁお互いテキトーにやりましょうや」ってことですよ


まぁまぁまぁ

まぁまぁまぁまぁ


出来たら置くので

それだけ


難しいんだよね

姿勢をどうするかって

チューニング合わせるみたい

なんか知らんけどうまいことなってほしい


ハァー作らなければいいだけの話なんだけどな

「じゃあ作るな」って、言われるかもしれないが、

なんなんかなー

気持ちいい体勢で固定される感じ?

いろいろ気持ちいい体勢を探して、手を伸ばしたり足を曲げたりして、気持ちいい体勢を見つけたらそれが保存される感じ(手足だけじゃないんだ、仮想の体で、つのでも羽でもなんでも出せる感じ)

ビシッと固定されて、固定された自分を見るみたいな

カタログみたいな

自分の気持ちいい体勢カタログみたいな

そういう作業ってか

まぁそれは作る前の、完成への憧れですね


作るまでに面倒なんだ

さいきん創作を滅茶苦茶サボってる

四コマですら考えてない

まあ四コマはニコニコで全然ウケなかったからヤル気なくしたんですけど

私がヤル気なくしたとか知らんわというわけで四コマも書きますけど

20個出来たら出すんですけど今はまだ3個くらいしか思いついてないんですけど

それもこれもサボっててヤル気がないからなんですけど

でも「出せたら出す」ってタイトルの意味は「ふと思いついたら出す」という悠々自適でやってみようという意味なので今の状態は全然よいのですけど

四コマはそんな半端な覚悟なので、それで際どいネタやって炎上なんかした日にはもう目も当てられないんですけど


私は頑張ってるんだけどな、今は創作は頑張ってねぇんだわ

全然よいのですけど


追記:

「ウケない!キー!」って感情を感じることはあるけど、迷惑かけたくないし、ほっといて下さいな(これを書いてる今は全然穏やかですよ)

私も多少はウケてますよ

それが追っつかないほど、人生が渋かったりするので、「キー!」なるのですけど

だから人生が悪い

誰も悪くない、私の人生が悪い

何かあったわけではないよ

良い悪いがスパッと分けられるものではなし、良いと悪いは溶け合ってるのですけど

私の人生はだいぶ幸運なんですけど

いやー、難しいですねー

この気持ちを伝えるのは

とにかく「全然オーケー」というのを伝えたいのですけどね

難しいです

カッコいい

落語で「黄金餅」ってはなしがあるのですけど、それには「言い立て」があるんですよ。言い立てっていうのはあんまり知らないけど「じゅげむ」が有名で、あのまくし立てるやつです。

私は「言い立て」が好きなんですね。「言い立て」はめっちゃカッコいい。

中学の頃「寿限無」とか「平家物語」とかを覚えて唱えるブームが私の属するグループで起こったんですけど、私は根性がなくあまり覚えられなかった。


やりたいなぁ。

言い立てやりたい。

やります。

いずれまたボカロで。


どこだろうな?

人生の、子供の頃のどこかで、喋り立てることにカッコよさを感じるようになった。

子供の頃と思いつつも実は最近かもしれない。


割といるんじゃないですか?言い立てカッコいいと思う人。

ラップカッコいいみたいな感じじゃないかな。


思い出せない。

子供の頃から好きだったような気がするけど、大人になってから全部考えたような気がするな。


エミネムもカッコいい。


追記:

覚えて喋るのがいいんだよな

「文章を覚えて喋る」という遊びなんだろう

子供とか喜ぶだろうな

「調べれば済むものをわざわざ覚える気はないよ」って姿勢だったけど、覚えたくなってきた

豊かなんだよ、覚えてる言い立てが多ければ気持ちが良いんだ

あと、駅の名前とかね

子供の頃はお婆ちゃんの家までの駅の名前覚えたりしたね

まぁ一番最初に覚えたのは私の兄ちゃんなんだけど、それに影響されて私も覚えたんですけどね

人に話すのが良いですね

好きだなぁ

ペロッと分かるもの

映画とかで「この作品とこの作品は実は繋がってる」みたいなことあるじゃないですか。ぜんぜん知らないですけどアベンジャーズってだいぶそういう感じらしい。

あとシリーズものとか。「スターウォーズ」とか。

それからリメイク版が結構出てるやつね。「猿の惑星」とか。

あとは、小説があって、漫画があって、映画があって、アニメがあって、ゲームがあって、劇があって、という媒体がいっぱいある作品ありますね。


こういった作品に対して、いっぱいあることを「嬉しい!」と感じる人とがいれば、「大変!」と感じる人もいると思う。


私なんかは「大変!」って感じる方なんですよ。

はい。


本とか読んでて、残りのページが少なくなったら、「あぁ、終わる!楽しいのに終わってしまう!」みたいに感じることはありますか?

私はそういうのぜんぜん無くて、どんな本読んでもだいたい「早く終われ」って思うんですよ。


余裕がないんでしょうね。

生き急いでる感があるな。


晩飯を思って一日を頑張れたら素敵だと思う。


なんだろうな、「いっぱいあって嬉しい」というのは、味方になってくれてる気がするんだろうか。

自分の人生を彩ってくれる作品が、いっぱいあるということは、味方がいっぱいいるということで、だから嬉しいのかも。

それが「愛する」ということかもしれない。「愛読」とか、「愛聴」とか。そういうの。


ただ、私は読んだ本も、聴いたCDも、売ってしまいたい人間なのである。

(追記:

boothとかでアーティストから買ったメジャーじゃないCDとかは売る気がしない。誰かにあげる気はするけど。

なにかを持つのが嫌という気持ちがある。なんか知らんけどある。

なので私は味方などは求めてないのだろう。

ツラい。

何かを持ったらそれを守りたくなる。守らないといけなくなる。だが、果たして守れるのだろうか。私に自信はない。

余裕がないのだ。


余裕はどうしたら持てるのだろうか。

私の場合は、今の仕事に慣れれば余裕が持てると思う。


最近ぼんやりと思うことは、私の苦しみの多くは、育った地域に定着せず、そこの人間関係に属さず、そこで一つの仕事を続けなかったからではないかと思う。

だが、私には育った街を出るチャンス(実家にお金があった等)があったし、あそこでずっと暮らすことは耐えきれないものがあったので、まあこれは仕方ない。


YouTubeにいろいろ動画があるのは嬉しいですね。落語とかいっぱいある。


話はズレるが、私の作品が見つけにくいの申し訳ないと思う。タグを付けないの良くないなと思う。

タグをつけてくれるから、ヒップホップが聞きたいと思ったら、ヒップホップを見つけることができるわけだからな。

ものが簡単に見つかる世界って嬉しい。たとえそれが駄作でも意味はなんとでも引き出すことができるだろうし、あればあるほどいいんじゃないか。

今後はタグも考えます。


でもなぁ、ホッと作ってポンと出して「後は勝手に良きに計らえ」ってのが粋じゃねぇかという気もある。

それでいえば別に私は目立たなくてもいいわけだな。

「俺が俺が」もいいけれど、感動した作品について語ったり、ネットに転がってる音楽をあるテーマでまとめたり、何かが好きな人にその感動を語ってもらえるようなインタビューをするのだって、自分が直接作品を作るわけじゃないけどすごく良いものであると思う。

そういうことできる能力は私には多少はあると思う。でもそれはやっぱり大変。そういうことをできるようになったらいいよ。でもそれは「中国語を話せるようになったらいいな」くらいの話だ。大変だ。


ついでに語る。自分が作品を作ることと、他人の作品をまとめたり評価したりすることの違いは、一番大きいのは、自分で作品を作るのは、私の場合、「私以前のなにか」を取り出してる感じ。そしてなにか作品について語るのは(たとえそれが自分の作品であっても)、「私以後のなにか」について語ってる感じ。

テキトーっていうか、フワッとしたような言葉ですけど。「私以前」とか「私以後」ってなんやねん。

もっと考えます。


ではまた


分からないマウント

最近私は「分からない」と言うことが多いが、それは一種のマウントというか、結局は過剰な自意識ゆえの発言ではないかと思う。

 

この世にはすごいものがあって、私はそれを丁寧に他人に伝えなければならない。

 

追記:

「お前のこと分からないよ教」を始めようかな。俺は始めないけど。

説明しよう。「お前のこと分からないよ教」とは、教祖が「お前のこと分からないよ」と言ってくれる宗教である。

このどこがいいかって「お前のこと分かるよ」って言わないところがいい。

仮に「お前のこと分からないよ教」が広まったら、俺は逆に「お前のこと分かるよ」って言うと思う。

だってすべてがムカつくもの!!!!!!!!!!

ホンマしょうもない!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ペッ!!!!!!!!!!!!!!!!

嘘やよ~。ムカついてないやよ~。

 

書いちゃえばいい

https://www.13hw.com/ryu/comment02.html


村上龍の言葉で一番勇気をもらったのがこれだ。


「小説家になりたかったら、村上龍がなんと言おうが、小説を書いちゃえばいい」


しかし、何を思って私はこの記事を書くのだろうか。

私の感動は、もっと丁寧に書かないと伝わらない。

気付かなかったよ

立川談志の「らくだ」はすごいのですが、雨の中のらくだがすごいとは気付かなかった。

言われてみればそんなシーンもあった。それがすごいと言われれば、すごいような気もする。

立川談志の「らくだ」と言っても知らない方もいらっしゃると思うので、ここでスパッと切る。

(追記:

らくだについて語ればいいんだけど、この記事の着想を得たのは上記のマイ・エピソードだけど、この記事で言いたいことは「らくだがすごい」ということではないのである)

 

ここから先は映画鑑賞で例えます。

例えば誰かと、ある映画について語ってる時、相手が「あのシーンがすごく良かった」と言ったとします。あなたは「あのシーン」があったことは覚えてるが、それはそこまで印象的ではなかった。で、どうしてすごく良いのか相手に聞くと、自分は気付かなかった良さをその人は感じてることが分かった。

 

そういうのって、素敵やん?

 

一個すぐ出せる私の気付き語るわ。

イミテーション・ゲーム」って映画ですけど。

軽くネタバレ入ります。

 

主人公のチューリングが自分のやりたい考えがあるんだけど、上司に「あなたに説明しても分からない」みたいなこと言うシーンがあるんですよ。それで上司は「簡単に説明しろ」って言って、チューリングは説明する、それで説明されたのは一見分かりやすい簡単なことなんです。上司は「それは簡単なことだ」って言うんですけど。

チューリングが上司を見くびり過ぎたのか?って思うけど、それは違うと思って。上司はやっぱりそのことを分からないんです。分かってないんです。その証拠に、後々にチューリングの仕事を中止させようとした。本当に分かっていたらチューリングをクビにしようとはしなかった。そういうのが見え透いてたから、チューリングは「あなたには分からない」って言ったんですよ。

そう思うので、あの映画のシーンはすごいんです。

 

こんな風に、「細かいとこ」をどこが良いか説明するの素敵やん。作品は全体を捉えてざっくばらんに説明したくもなるけど、細かいところ説明するのも素敵だと思うのです。

 

あと具体的だと、良いよね。