背伸びをしたらなにもかもお終いよ

最近は雑記になってしまっている

憧れのもの

前に映画「君の名は。」を見てびしゃびしゃに感動したんですよ。

私はお笑いや落語であれほど感動したことはなかった。それが気にかかってね。お笑いや落語でも私は感動しないとダメなんじゃないかと思った。だってなんていうか、私はそっち系のボカロPだから。(プロじゃないけどね)

だから「君の名は。」で感動したのはいいけど、お笑いや落語でもそれほど感動しないと、なんか、私はそっち系ではないのではないかという、なんか嘘があるんじゃないかと、下らないけどそういうことを思ったりしたのだ。

でも、よく考えたら、私が日常で普段考えてることは、お笑いや落語のことの方が多い。あと音楽とか。まぁ、ずっと考えてるわけじゃないけど、歩きながらふと考えてるのは、そういうことがよくあるというね。

みなさんも歩きながら考えると思いますけどね。憧れのものを。

私は立川談志松本人志だったりする。それは人によっては米津玄師だったりpuhyunecoだったりするだろう。

そのエモさをここに報告しておきます。

はい。でもまぁ、別に「私もああなりたい」というわけではない、それとは別の種類の「憧れ」なんですけどね。弟子になりたいとか、知り合いになりたいとかも違う。

その人たちがやったことを見て、自分の中で繰り返し反芻する感じ?繰り返し味わって、うわぁぁぁぁってエモい気持ちになるという。そういうことってあるよな。

まぁマネとかもするけどね。私は立川談志の影響で顎を触るようになったりした。(しょうもないな!マネする暇があればもっとその人の作品を漁れってんだ)

 

それとはまったく関係ない話をすると、

落語で私が好きなのは、「お茶汲み」とか好きだね。

遊郭に遊びに行った男が遊女に泣かれて「お前さんは死んだ愛する男とそっくりだ」と言われる。「だからあたしをお前さんの奥さんにしてくれ」とかいろいろ嬉しいことを言うわけ。でも実はそれは遊女の嘘で、泣いてるふりしてお茶を眼のふちに付けて涙を演出してるだけだった。なぜそれに気付いたかというと、目の下のほくろが動くと思ったら茶殻だったから。まぁ遊郭というのは化かし合いの場所。男も騙されたフリしてその日は楽しく過ごして、帰って仲間たちに一部始終を話した。すると一人がその女のところに行きたいという。その女とはそれっきりのつもりで、別に狙おうとしてるわけでもないから女の店と名前を教えてやる。それで仲間の男は一人その女の元に行く。そして今度はあべこべに男の方が「お前は死んだ愛する女とそっくりだ」と、遊女がした話をそっくりそのまま遊女にしてやる。それを聞いた遊女がどこかへ。「おい、どこへ行くんだ」「いまお茶汲んでくるから」というオチ。

いいですね。けっこう遊女の話は好きだな。

汚い話は好きじゃないけどね。「鍋草履」とか。芝居小屋で客に注文された鍋を床に置いてたら人が踏んじゃって、作り直す時間もないから何も言わずに出して食わせて、「口の中がじゃりじゃりする」とか言ってると、そこに鍋を踏んだ男がやってきて「草履を忘れた」と言うというオチ。

でもね、そういう汚い話の落語は好きじゃないけど、落語じゃないなんか違う汚いネタは全然大丈夫だった。なんだったっけ。その話をしようかと思ったけど、肝心の「大丈夫だった汚いネタ」を忘れちゃった。

思い出した!岡山の変態糞親父だ。(ネタじゃなかった)

あれは好きですね。元気があって大変良い。

なんでウンコ食う変態が良くて、中に草履がある鍋を食わせる話が生理的にダメなのかというと、なんでだろうね。

鍋草履の方はなんか自分も汚い鍋を食ってるようなそんな感覚になるんだよな。

変態糞親父は自分とはまったく別の存在で、変態を楽しんでいるので、どこまでも明るくて、よろしい。

受動的に食わされるか、能動的に食いにいくかで、違うんだと思うな。あと、性欲とかが絡んでると違うのかも。

 

ウンコネタね~。私はあんまりウンコで笑ったことはないと思うな。いやけっこうあるかな?

小学生低学年の頃に見た夢でまだ覚えてるがあって、それは私の口の中にウンコがあって、私はそれを吐きだそうとハッハッハムッ!ってなってるんだけどなぜか吐きだせないという夢。味はあんまりしてなかったと思うけど、そういう夢をみたのを覚えていますね。

ウンコは謎。

ウンコしながらオルガスムみたいなのは面白いかな。

オルガスムスしてる人は面白いかもしれない。

オォーッ!オォー!

うちの地元の海にはナマコがいてね。まぁ黒い普通のナマコなんだけど、強く刺激を与えると内臓をビュッ!ビュッ!と吐くんですよ。

子供たちが面白がって内臓吐かせてる。

まぁ、嘘ですけど。ナマコが内臓吐いてる実際の現場なんか見たことないですけど。ナマコが内臓吐くのは本当だけど。面白がって内臓吐かせてる子供たちはいない。

友人が車の運転しててさ。

パッと見たら道の真ん中に鳥がいてさ。

「アッ!鳥ちゃん!」って言ったんだけど、面白かった。

前の仕事で客の車の誘導で、近くに下校中の小学生たちがいて、お客さんバックしようと後ろ振り向いたら「アッ!子供たち!」って言ったんだけど、面白かった。

まぁそれは置いといて、オルガスムスを模したオブジェクト。それを面白いと言う感覚。

面白いかな?分からねぇな。

イキ顔。

うーん。

快楽の奴隷になってる感じが面白いのかもしれない。

新聞の見出し「快楽の奴隷 親を殺害」

絶対にやっちゃダメなことを、快楽の奴隷になってしまい、やってしまうのは面白いな。

暗証番号言っちゃうとか。

それ面白いな。

快楽の奴隷になってしまい金魚のエサを忘れるとか。

あー

 

アドレス全部消しちゃうとか。

脳、使ってますか

例えば「ゾッとすることを考えてください」という課題を出されたとしましょう

その時に、果たして脳の「ゾッとする部分」を使って、その課題を解いているのか

つまり、ちゃんと自分で自分の答えにゾッとしているのかという話だけど

その、脳の「ゾッとする部分」を使うっていうのは、例えばの一例だけどその手のことはけっこう難しいのではないか

だいたいは、手近な経験や常識で間に合わせたりしてしまうと思う

「ゾッとするものを考えてください」「それはお化けです」みたいな


話は逸れますけど

こないだ帰ってきて、玄関のドアを開けましたら、まだ電気の点いてない暗い中、上がり框の横手の方でパタパタっという音がしまして。

見てみると壁に初音ミクがペターっと張り付いてたんですよ。

まぁ、Gでないのでよかったのですけど。

まぁでも中にいられちゃ困るんで、外に出そうとして、「ミクちゃん!入っちゃダメでしょ!」と言いながら、手近にあった封筒でツンツンと突いてみると、パタタ、パタタと逃げますので、それをうまい具合に玄関まで誘導して、初音ミクは途中で靴の間に隠れたりしてたけど、なんとか外に出して、ドアで挟まないように注意しながら閉めたのですが。

このお話は、本当はヤモリが入ってきたエピソードを記号操作(なにそれ?)したものなんですけどね

まぁテクニックの一つですわな(威張るほどじゃないや


「テクニックだけ長けてしまってはいないかい?」という話なんですけどね


まぁでも、家に帰って初音ミクがペターっと壁に張り付いてたら、ちょっと面白いと思うけど

まぁでも、この「面白さ」も、実はTwitterで読んだ漫画で描かれたものの変形なんですけどね

カナブン(カブトムシだったかな?)と女の子が逆さになっちゃう漫画で、あれを読んだから、ヤモリのことがあって自分の中で初音ミクと入れ替えるアイデアが浮かんだんだと思う


縁の下で飼ってたキリンどうしたい」

「徳利セーター着るのが嫌だって家出したよ」
これは立川談志のイリュージョンですが、
もしかしたら、この「縁の下のキリン」も、抽象的な言い方だけど、「道」があるのかもしれない
要するに、まぁ、そこを人が通れるという道ね

超個人的というか、他人と通じようがないものというのは、超個性というか、そういう何かを考えて、
キヅミタで言えば「生徒会長が奴隷として売られたら嫌だなぁ」とか
他人が聞いたらナンセンスかもしれないけど、それは自分(キヅミタ)の中にはちゃんと意味というか、質感があって、
「縁の下のキリン」もちゃんと立川談志の中ではなんらかの意味があるかもしれない
さらに言えば、立川談志は、もしかしたら「縁の下のキリン」を談志本人だけでなく、他の人もそこを通れる、道があるようにこしらえてるのかもしれない。
分からないけど。
「生徒会長が奴隷として売られたら嫌だなぁ」には、他人も通れる道があるのかどうかは、そこまでは考えてない
赤ちゃんが手のひらをグーパーするみたいに思いついた歌詞だから
(またわけのわかんないこといって人をケムに巻こうとしてるのか、不誠実な)

脳の、ゾッとする部分を使って、ゾッとして、その「ゾッ」を、だれか別の人に、伝えることができるかというか、


わけわかんなくなってきたな


交ざり物のない、自分の脳の「ゾッとする部分」から出てきた、純粋な「ゾッ」ね

これはねぇ、良いんじゃないかな

まぁそれは要するに「安易でない」ということでもあるだろうけど


ちょっとやってみるとね、「ゾッ」を呼び起こすのに、苦労するね

いきなり何もないのに「ゾッとしてください」と言われてね、思い出しゾッ、みたいなことを要請されてね、難しいね、手を使わずに射精しろってか?みたいな(射精射精うるせぇ!


自分の脳の「ゾッとする部分」から出された交ざり物のない「ゾッ」て、もしかしたら世間一般の「ゾッ」とは、違うかもしれなくて、それもまぁ、趣があるわけで


お化けとかじゃなくて、私の「ゾッ」は、これです、と出されたものが、例えば


まぁこの「例えば」を考えるのもまた、「ゾッとする部分」を使ってないわけで


そうだよ、つまり私がよく使うのは「奇を衒う部分」だ

そればっかり使ってる

脳の右斜め上らへん


そればっかりじゃ、なんかなんかなんじゃない?って話だ


ちゃんとストレートに、「ゾッとする部分」を使ってみると良いかもしれない


そうだよそうだよ

まだ眠りたくない

私のレビューとか解説とか、比較的まじめな記事を最近とんと書いてないけど、ファンにすまねぇな


チンアナゴLPのレビューだって、いずれやらなきゃと思ってるけど、もうリリースから何年だ?

まぁ、そのうちやりますよ


練習について


私は自分の人生で、頑張ってなにかを練習したことは、もちろんあるのだけど、具体的にはあまり思い出せないんですよね

ないはずはないのよ

だって、こうして日本語の文章を書けるのも練習の賜物なわけですからね

「俺には雑学はあるかもしれないが、それは体系立ってない寄せ集めのようなものだから、まったく力を持たない。ちゃんと理論として身につけなければならない」ということを私は高校の頃に同級生に言ったのですけど、あれからもう十年以上経つのね

言うは易きで、行うは難しというやつで

私はいい師や朋輩や親や環境に恵まれなかったのかな

勉強の才能がなかったのかしら


単純に数をこなせば上手くなるのなら、私の字がこんな汚いはずがない

滑舌がこんなに悪いはずがないのよ

つまりね、上手になるための、効率というものはたしかにあるわけでね

それは考えるべきだと思う

どうすりゃいいかは分からない、やってこなかったのだから


でもまぁ、音楽の知識を増やしたいと

そんなら、しのごの言わずに沢山聞けばいいんだ

サブスクがあるんだから、例えばブルーノートならブルーノートの、ディスクガイドでも買ってきて、そこに載ってるの片っ端からサブスクで聞けばいいんだよ

料理だってさ、料理本買ってきて、そこに載ってるの全部作ってみりゃいいんだよ

絵でもギターでも、ちゃんとやればいいんだ

勉強だって、練習問題解いたりさ、ちゃんと答え合わせして、一度じゃなくて、何度も繰り返してさ

そして常にこれでいいのか考え続けるんだよ

やってきませんでしたねそういうのは全然

できないよ

どうすればできるようになる?

年取ってからだとかなりハンデがあるね

まぁ、しょうがねぇよな

いや、なんとかできることはやっていくつもりだけどさ

まぁそれはそれとして

どうすればできるようになるんだ?

宗教にでも入るか

いや彼女が出来たらできるようになるのかな

「俺はもうダメだー!」って言ったら優しく抱きしめてそれからフェラしたりしてくれる存在ができれば頑張れるのか

(女性をなんだと思ってるんだ

金払えバカヤロー)

話がズレたけど

高校生の頃はいろんな音楽が聞ければ良かったけど、今はもう元気が無くなったの

これはもう老いなのかな

Twitterでよくそんな話がありますよね

体力がなくなったのか、新しいものに慣れてしまったのか

まぁ、常に過去よりはマシでありたいつもりで生きてるので、別にあの頃に戻りたいとかはないけどさ


もう最高の自分みたいなのが、上手く想像できないから、射精のことばっかり考えるのかな

「私はどうなりたいんだい?」っていうのに、もう究極的には、射精か死の二択しかないという

ダメ過ぎる、私は今までなにして生きてきたんだ

よくご飯を食べ、よく射精する

何かになりたいんだよな

なんのつもりか音楽なんか作りやがって

なんだコイツは

あ、俺か

嫌だなぁ


話がズレたねぇ

どうすればいい感じになれるかってことだよ

どうすれば勉強できるようになるかってこと

まず生活は安定させたいね

部屋は綺麗にして、勉強する机と座っても疲れない椅子が必要だ

買わなきゃ

金が掛かって風俗いけねぇよ

そろそろ童貞卒業したいんだけど

まぁ、それは置いといて


人に認められたい

そのエネルギーを勉強に向けられないかな

でも私はなんかカッコつけてるところがあって、Twitterとかでも「キヅミタ」でエゴサしないからね

自分の曲名ではエゴサしますけど、「キヅミタ」の名前ではしない

私は生きづらい人間なんだよ(キヅミタでググることはよくある)

まぁ、それは置いといて(話が変な方に行ってばっかりだな)


夏目漱石芥川龍之介久米正雄に言った、「牛になりなさい」というのは、高校生の頃に国語の教科書で知ったんだけど、今にして思えばいい事言うなぁって思う

そうなんだよな、ゆっくりやっていくしかなきんだよな


あんまり自分が頑張った記憶がないのよくない

自分を褒めようがない

記録つけなきゃいけない


あわあわあわ



眠れないよ

音楽を作らずに生活の細々したことをやると生きやすい気がする。

ドラゴンボールの人造人間18号がセルに寝取られてる画像があって、「なんだそういうことだったのか」と人造人間18号は自分の存在意義が「セルの精子を受精し続けること」だと理解するのですが、その気持ち分かる。

今まで作曲にかけてた時間を生活に割いたら豊かだもの。部屋を掃除したりさ。なんだそういうことだったのかって感じ。

でもまぁ、その豊かさから新たな私の音楽が生まれるというわけであってね。音楽はやめないんですけど。

私ね、もういっそ冬の風物詩になろうかな。

どういうことかというと、一年のうち冬頃に作品を発表するというね。

まあ一年、ちまちま急がず何かを作って、そんでだいたい毎年冬頃にそれを出すというね。

やっぱりね、作り続ける人は偉いですね。

というか、私だって作り続けたいのでね。

(そういうと揺れる心の反作用で「いや別に作らなくてもいいんじゃない?」と言いたくなるけど)

まあ、いま思ってるのは、みなさんの私に対する信用についてですよね。

「信用?金を借りるの?」ってわけではなく、ただ信用があれば、みなさんに安心を与えることができると思うわけですよね。

だからね、「キヅミタの音楽はまた出るだろう」という、安心ですよね。与えたい。

あのねぇ、前に電車の広告で見たんだけど、それは洋服屋の広告だと思うけど、昔風に言えばお店(たな)の大旦那らしきハイカラな老人が、ズボンの仕立て道具の巻尺見たいなのを持って、仕立て台で作業をしてみせながら、笑ってるやつなんだけどね。

好きなんですね。

私もああいう風になりたい。

それはもう一昔前のテレビの司会者みたいな感じが近い。

桂小金治とか?知らんけど)

80年代とかのね。まあ私はまだ生まれてないけど。

エンターテイナーですよね。

私が悲しみのどん底で死んで、エンディングが流れて、そのBGMスコット・ジョプリンの「エンターテイナー」っていう感じの動画を作ってTik Tokにあげようかな。


泣きながら首を吊ろうとするキヅミタ

なんかセリフを言う

ぶらーん

画面が真っ暗になりスタッフロールが流れる(ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん、ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん、ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん ちゃん、ちゃっ)


まあいいや


年一で出すとなれば、まあ忘れられないだろう。

それぐらいがちょうどいいのかもしれんな。箔もつくかも。

でも12月に出すのは違う気がする。

12月はごちゃごちゃしてるからな。大晦日とクリスマスがあるからな。

出すなら11月だ。素数っていうのもポイント高い。

滅茶苦茶HAPPY劇場も11月に出したし。

マイルドモンキーは12月だけどな。

11月の、そろそろ終わりだねぇっていう、まだ余裕があるところで、キヅミタの新作が出る。

いい感じじゃないの?

好きだな、11月。

「今年もあともうちょい頑張ろう!」って感じで出す。

まぁ年が明けたところで何かいいことがあるわけでもないが、こう、なんとかかんとかやっていくのにね、楽しいことがあればいいじゃない。

今年は何も出さないけどね。


ところで私の作ったアルバムは全然ダウンロードされてませんね。

チョコレットEPなんかね、バレンタインに出すというコンセプトですよ。それがバレンタインのうちにダウンロードされたのうろ覚えだけど、一回だったか、ことによればゼロだったかもしれない。コンセプトまるで意味ないやんけ!


私の音楽を待ってる人が仮に一人だけいたとしよう。

私はその人のためには音楽を作らない。

100人いれば少しは考えるけど、まぁ基本的に自分のためにやっている。無責任にな。


まぁな、私が「誰かのためにやってあげてる」というのでは、続かないよな。結局は、自分で気になるから、やっちゃうという、そういうことなんですけどね。


この私を認めよ。


ところでさ、

大御所の芸人やタレントって、凄さイマイチピンとこない現象ありますよね。

例えばビートたけしって、いろいろ知る前は全然喋れない人だと思ってた。

でも、昔の漫才とか見るとめちゃくちゃ早く喋ってるし、最近はテレビ見ないから知らないけど、テレビ見てた頃だってけっこう喋ってた。

そういう現象なんなんだろうな

大御所のすごさわからずに逆にこれポンコツじゃないの?みたいに思うやつ

タモリのすごさとかね。分かんなかったりする。

古今亭志ん生って落語家のすごい人がいるんですけど、私は全然知らないから「志ん生って落語ちゃんとできるのか?」って、もう知ってる人から見たら「キヅミタとかいうのとんでもねぇバカだな」と思われるような見方してしまうからな。「志ん生って噺を10個くらいしか知らないんじゃないの?」という、見くびりをしてしまう。

それは私が無知だからだと思う。無知は怖いね。

それはそれとして落語は面白いですね。まだ寄席に一回も行ってないけど。


日本の文化というか、バックグラウンドとしてのデカい集積というのにアクセスするにはいろいろな道があるんだね。私は最初、歌舞伎や能からそれに入ろうとしたけど、難しくて全然身が入らなかった。

今それが私は落語からそこに入っている最中で、良かったです。


80歳の俺の人生最後の作品がその時代の新進気鋭の若い者の丸パクリだったらウケるな(俺はその若者を知らず二番煎じに気付いてないというね


ネットをREAD ONLY MEMBERしてた間に何個か遊びを考えた


・田崎死んじゃったなぁオフ会

初対面だが、共通の友達「田崎」が出先で死んだという話をする遊び


・共有しようのない絶対知らんやんって個人的な思い出を語ってもらい、自分はその場にいたしまるで自分と相手が同じ人間であるかのように同じことを感じたというていで同意しまくるゲーム


・タクシーの女性運転手役をしてもらいきちがいの客として話しかける

「コバエとるやつを買ったんですよ

どこから入ったのか湧いちゃって、でも安物だったからなかなか効果がなくてね、それで

あ、そこ左です

今日ね、駅でうんこ漏らしてる人がいたんですよ」みたいな感じ。



こんなもんかな。



自分で作った曲が好き2

前回の続き

自分の曲について語ったりするのは本当に楽なんですよ。例えば他人の作品だったら、発言にいちいち判断が必要ですけど、自分の曲はそれが緩くて済むから。

易きに流れて自分の曲を聴いたり語ったりするんですよ。その才能を他人の曲や作品に対しても向けたいのですけど、やっぱりそれは大変なんですよ。でもそれもやっていきたいからやるしかないのですね。

でも今回は自分の曲の話。

 

つうか読めねぇよなこんな文章。きついと思うと思うよ。

言ってることもよく分かんねえだろうなと思う。私が他人の文章読んでそうなることあるもの。なんか文字の塊がベターっと、粘土みたいで、食えないみたいな感じ。

これ(自作"チョコレットEP"の解説)、しっかりまとめたものをちゃんと別のところに、boothとかnoteとかに書いて、150円なり200円なり金をとろうかな。

自分の作った曲って、それを使って自分の好きなものを説明したりできると思ってて、しっかりやればまた面白いものができるのではないかと思う。

この記事は下書きというか、まとめる前のアイデアみたいな雑然としてるバージョンで、ちゃんとしたやつは別に金を取るというのもよさそうだな。

ハァー。

 

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ライオンね。

明るく振る舞おうとしたら陰惨になってしまった感じ。

サビの「大した罪とか犯してないので人生いままでなかったことにしましょう」って言うのがちょっと良くないね。常識的なことを言えば、人生には今まで関わってきた人もいるし、借りもあるわけで、そういうしがらみを考えたら勝手に「なかったこと」にはできないわけですよ。

だからこれはけっきょく冗談になってしまう。でもそれには願望も入ってるし、実はちょっと本気でもある。主人公は「人生いままでなかったことにできたらいい」って思ってるし、そう思わないとやっていけないところがある。

この曲の主人公の女性は重音テトさんじゅういっさい。いい年齢ですね。別にキャラクターに沿った曲を作ろうとは考えてなかったけど、この曲の主人公はそれくらいの年の女性である。なんとか自立する道も軌道に乗ってきたという年齢の女性。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とか、陰惨ですね。作ってるときはそんなつもりなかったと思うけど、出来てみたら「夢を諦めた感」がバリバリ出てしまった。

だからこれは「ハズしてしまった冗談」みたいな痛々しいところのある曲です。主人公はそういうひょうきんな女性なんでしょう。

音楽的なことで言えるのはロックということです。ちょっとファンクが入ってしまったところがあるけど。

リズムとかドンタンドンタンで安易なもの。打ち込みって感じのチープなサウンド。こういうのがけっこう好きなんですよね。人工的な感じ。カラオケの伴奏ってまではいかないくらいの。私は好きなんですけどね。

だから、こういう音楽はサウンドとかリズムとかはどうでもいいんですよ。むしろそういうのは「ウザい」っていうところの音楽であって。じゃあいったい何を志向してるんだろうかという話ですけど。なんでしょうね。

ちょっとあざといというかいやらしいというかセコいというか。まぁやっぱり「ひょうきん」なんですね、この曲は。

最後のフェードアウトもね、よく聴いてみれば音が小さくなっていきながらドラムがバタン!って終わってるんですよ。フェードアウト中に終わってるんです。フェードアウトの意味なに?ふざけてるんですけどね。

雑に歌ってる重音テトの絵が浮かぶ。タンバリンとかパーンパーンって。

「ライオン」ってタイトルは、私は作りながら泣いてる重音テトの顔が思い浮かんでたんですけど、その顔がライオンに似てるからそういうタイトルにしました。

 

 

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えー、ほんとにね。

私は天才ではないけども、良い曲を作るなぁっていう。

果たしてこんな角度のギャグ音楽があるのだろうか。ボカロ(CEVIOですが)であります?ボカロどころか音楽全般である?あったらぜひ聴きたいてぇよ。(なら探せって話だけど)

新しくはないかもしれない。探せば似たのもあるかもしれない。

BGMなんですね。小さい音でかけてもらっても全然良いっていう。

「丸い龍」ね。

最後のオチは「ネタバラシ」なんですよ。松本人志がMHKとかでよくやってたんですけど。

「正直、龍はなんの意味もない存在である」

この曲には何の意味もないんです。ナンセンスなんです。

チョコレットEPというのは「少女性」がテーマで、まぁ少女性っていうと小難しいけど、つまりカワイイの作りたいなっていう思いがあって、カワイイのアレしたかったんです。

で、「遊び心(ぞぞぞ)」「現実(人生の味)」「現実(ライオン)」と来てたんで、最後は遊び心を前面に出した曲にしようとしたんです。

少女性と遊び心で思い浮かんだのは「不思議の国のアリス」だった。それからキーワードはナンセンスだと思ったんです。

でも少女性はあんまり出せなかったね。単にナンセンスなギャグになった。

丸い龍の「空っぽな感じ」ね。

サウンドで空っぽさとかはよくわかんないんですけどね。

やっぱり私の音楽はギャグの文脈なんだろうな。

「ギャグの文脈」ってなんだよって話だけど。

申しわけなさそうにさとうささらが「正直、」って言う。

「龍はなんの意味もない存在である」

ちょっと気まずい。

淡々とした語り部が「うわぁ、説明きいてる人キョトンとしてるよ」って内心思ってて。

だからなに、「これなんの意味もないんです」って。

それでもうみんな困ってしまう。

あ…、

って感じ。

誰も悪くないんですよ。

魔術師にもね、きっと龍を作らざるを得ない理由があったのだろう。

なかったのかもしれない。

知らない。

以上です。

自分の作った曲が好き

soundcloud.com

 

↑この曲の最後の4小節? 5:03くらいのやつ、最後の部分がめっちゃ好きなんですよ

この曲は私が作ったんですけど

 

 

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↑これは私の作った曲ではなくて、wtnbという人の曲です

自分はぞぞぞの最後のやつ、wtnbさんっぽい感じがするんですよ、自分的には

 

百鬼夜行絵巻」で、最後には太陽が出てるんですね、で妖怪が逃げてるんです

そんな感じって言っても通じるかどうか分からないけど、好きなんですよ、そんな感じが

 

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wtnbさんも"ぼんやりと現れた朝日"という歌詞があるので、似たような何かを持っているんじゃないかと思います、これは私の想像に過ぎませんが

 

でね、私の話ですけど

"ぞぞぞ"の最後って、落語の"芝浜"のオチみたいな感じがあると思うんですよ

芝浜は「よそう、また夢になるといけねぇ」というオチなんですけど、それはものすごく粋だと思う。なんでだろうと考えたら、きっと洒落っ気があるからなんですね。

それがものすごくカッコいいんですよ、芝浜は。

洒落っ気ですよ。本当に良いなぁ。カッコいいよ。

伝えるのが難しいな。

そこには寂しさもあるんですね。寂しくて、ぽつり、って感じがして。

世界が止まるような。一瞬だけ別の世界に行ってるというか。

まぁ、そういう洒落っ気みたいなところがぞぞぞの最後にはあるんですね。

好きだなぁ。

ぞぞぞはどういう筋なんだろう。別にこれだというのは考えてなくて、聴いた人が物語を作って欲しいところもあったんですよ。ただそういうことをするのにあの曲が親切にできてるかは分かんない。親切さとかは考えてなかった。

自分の解釈では、

病気で死んだ少女がいて、少女は恋をしてたんだけど叶わなかった。

時代は昔の日本で、江戸とか、町の方。

まぁなんとなくで作ったので、作者ですけど実際はぜんぜん分かんないけど。

死んで幽霊になってね、「恨めしや恨めしや」って、それは本気じゃないのよ。洒落なんですよ。洒落で怖がらせてるいたずらっ子という。

すごいなぁ。寂しいね。

冬の風がヒュウ―っと吹いて、太陽がぽかーんって出てくる。少女が死んだ町に。

 

別に私は天才ではないけど、

そんなかなりすごいものでもない。不器用で、稚拙なところもある。

でも、やっぱり自分で作るものは、自分の痒い所に手が届いてるって感じ。

 

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これは、ごっつええ感じのキャシー塚本感ですよね。

やっぱり自分の作るものってお笑いの影響をかなり受けてると思う。

ぞぞぞとかこれとか作ってる時とか、本当はギャグを封印しようと思ったりもしたんだけどまだ無理だった。

ぶん投げてるところが好き。

あと、始まりの、

いま目が覚めた→歯を磨いて→また眠る→無限に

起承転結してるという

もうここだけで終わりでもそういうネタとして成立しそうな感じ

この歌を鼻歌で歌いながら雪歌ユフが歩いてると、ばったり会った友達に「あ、ユフじゃん。また太った?」って言われて、「意味が分からんー!!」ってキレるというのが想像できてるんですよ私は。

よくキレるんですね、このユフは。たまにキレて物事をぶん投げる。

キャシー塚本が食材「ドーン!」ってぶん投げるみたいな。

この曲はサティの影響を受けているけど、サティはもっと軽かったり、神秘的だったりする。これでサティをモノにしたみたいには思えない。

歌詞で食材を言ってるのは、スーパーで買い物をしてる感じ。たまにはそんな程度の音楽がいいですね。狙ったわけじゃないけど。

3:05からの和音、良いですね。なんかシャンプーのCMみたいな感じ。雨に打たれて気持ちいいって"ショーシャンクの空に"みたいな。

最後は雑なんですよ。鍵盤を腕を横にして抑えて不協和音をガーン!からの礼のピアノですね。ドラドかドソドか忘れたけど。起立、気を付け、礼!のちゃーんちゃーんちゃーん。はい終わり終わり!みたいな。

ぶん投げてるという。もういろいろなことが嫌なんですね。

 

 

 

ライオンとか丸い龍にもいろいろあるんですけど。また今度にしよう。



追記:

この記事を書いたのは、自分の曲を聴いて起こる感覚というのが自分にあったからだ

それは自分にとって良いものだし、書いておこうと思った

他人の作った曲はここまで理解できることはほとんどない。やはり自分が作ったものだから分かるのだろう

逆に言えば、他人は私の曲を聴いても私と同じようには感じないだろう。それはつまり理解されてないということだが、別にそれでいいという風にやっていくしかない気がする

そもそもなにが正解かも分からない

理解というのは合う合わないもあるけど、どれだけ向き合っているかというのもあると思う。向き合った結果が理解ではなく誤解でも、それはそれで許されてもいいと思う。(中には許されなかったりもするが)

他人の作った曲を自分の作った曲のように理解するのが正解かどうかは分からない。ただそれはコミュニケーションであり、私が求めているものなのかもしれないのだ。

他人の作品から他人の孤独を感じることがある。だがそれでなんだと言うのだ。

私は無力だ。理解できない。

音楽を作る人より、音楽を聴く人の方がすごい

私は音楽を作る

でもイライラすることもあって、それは「音楽を作るからってナンボのもんじゃい!」ということなんですよ

なんかそういうイラつきがある

むしろ音楽を聴く人の方が偉大だと思う

だって、他人の作った音楽を聴くんですよ?

なんか世界へと開かれてる感じがする

その好奇心に乾杯!


って言うのは、まあ、私と音楽における一種のプレイのためにそういうこと言ったりするわけ

そういう部分もあるのよ

自分が作る音楽とは恋人のようなものだとしましょう

恋人をちょっといじめたいわけですよ

だから「音楽作るなんて、しょうもない!聴く人の方が偉い!」と、そう言ってなぶるわけです、音楽という恋人を

そういうプレイなんですよ

お前なんか全然大したことない

無価値なんだぞ

そうやってなぶるのです

それが楽しい

分かるだろう?

で、音楽とSMみたいなことやって、

あー!音楽ちゃんが!音楽ちゃんがあんな!あんな姿に!!

バッバーン!バッバッバーン!!

みんな拍手!!

みたいな感じですよね


私の「音楽を聴く人の方が偉い」という意識にはそういう感じが含まれてるのだと思う

まぁ、

音楽を作るのは、なんかね

もう単に、自分のためじゃねぇかって感じ

人のために音楽作るのも、ちょっと気色悪いような気もするし


「別に一番好きじゃないのにそれをやる」っていうことの、そういうのがなんか良いって気持ちがあるんですよね

余裕がある感じがいいのかな、恋い焦がれてカリカリって感じじゃないような

「好きならそれを一番やる!」っていうのが悪いかどうかは分からないけど、それとは違って、なんかこう感覚として「別に好きでもないのにやる」っていうのに良さを感じたりする


でも不思議にね、それも一歩道を踏み外したらイラッと感じたりもすると思うのですよ

「お前なんで音楽やってんだ!そんなんでいいのかよ!」って、一歩間違えたらそう思う

この「外してる感」、どう外れてるか、難しいですね


アウトサイダーというか

中島敦の「名人伝」なのかな

作意とか、人のためとかって意識が、ちょっとね

音楽における、「無視」とか、「ズラし」とか、「約束破り」とか、「破綻」とか、「非常識」とか、

なんかいい感じですよね

でも難しい

(なんか「笑い」について語ってるみたい)


ただやっぱり人のために作ったりもすることがあるのではないかと思う

サービス精神

実はそればっかりだったりして

それは一枚めくれば自分のためだけど

その自分のためもまた一枚めくれば他人のため

いつものぐるぐる


音楽を聴く人は、慎ましい感じがしていいんだよな

「音楽を作る」よりは慎ましいだろう


でもやっぱり私には、「音楽を作っている」ということの、選民意識みたいなのはあるようだ

それは「私が私であることの選民意識」というのか。

誰も私と代わることができないだろう。

社会的には全然代わりはあるけど。


ここら辺の気持ちは、なんか文学的な感じがする。