理論と技術

私事ですが、音楽を作ろうと思い至ったのはかれこれ10年以上前のことになります。

10年前、私の作曲者の規範はジミ・ヘンドリックス(昔のロックですごい人)でした。楽譜は読めない、音楽理論も知らない、ただ感覚だけで曲を作るというのにカッコよさを感じていたのです。

音楽理論を勉強するということがまったく思い浮かばなかったというわけではありません。でもなんか無知でいる方がカッコいい気がしたのです。

 

今私は音楽を作っています。どんな風に作るかと言えば、パソコンで音楽編集ソフトを開き何か音をいろいろ鳴らしてみて、いい感じの音の並びを見つけたらそこから発展させていくという感じです。

音楽理論も知らずこれでずっと作って来ました。いわば手探りでやってるわけです。

でも理想として音楽編集ソフトを開く前に自分の中で音楽が完成してる方がなんかカッコいいわけですよ。

まず自分の中に確たる音楽があって、それをただ外に出すみたいな、そういうのがカッコいいと思うのです。でも実際、私の中に確たる音楽なんてものはありません。今まで私が作った音楽はほとんど偶然に出来たものです。

時間が経つにつれ、カッコよさげに見えるものもやってみると実は地味な努力の積み重ねだということが分かってくるのですが、そればっかりだとぶっちゃけ飽きるっていうか、やる必要性を感じなくなります。

最近は音楽理論を勉強しまくって曲を作るのもカッコいいかもと思うようになってきました。

ただ、音楽理論を勉強するのは時間がかかります。理論や技術の獲得とは辛く長い修業期間を耐えて着実にやっていくものだという気がします。

めんどくさいですね。ペロッと15日くらいで出来ないんですかね。

ところで私は理論や技術に対する苛立ちがあって、理論や技術を修めた人が偉そうに知らない人に接してるの見るとイラッとします。

多分エリック・サティもそんな感じだったんだと思うんですよ。サティは19か20世紀のフランスの音楽家で、それまでの音楽の伝統に沿わず独自の音楽を作りました。しかしサティは40歳くらいになって音楽学校に入り、たしか2年くらいかけて音楽理論を勉強し直しています。(もっとも、サティを教えた先生は「サティはすでにプロフェッショナルで、私が教えることは何もなかった」と言っており、実際サティは優等の成績で卒業しています)

理論や技術に対する憧れと苛立ちがあります。

いずれは自分を何かに賭けなければならないというのは恐ろしいことですね。

自分に必要そうな難しい理論や技術を垣間見ると、なんだか土下座して謝りたい気持ちになります。土下座というのは丸まって腹を隠し背中を盾にするわけだから、踏んだり蹴られたりすることに対する防御でもあるんですね。

無知ですいませんって気がする。

なぜ自分は何も知らないという気がするのでしょうか。

そんなはずはないんですよ。曲がりなりにも義務教育を受けて、文字だって読めるし、それなりに生きてきたわけだし。

参考書の練習問題とかあっても解かないし、そういうところがダメなのでは?

 

うろ覚えだけどサティさんは市民のための音楽教室とか、子供のためのキャンプとか自主的に開いたそうですよ。よく分かんないけど優しい人だったんですね。

 

理論や技術のために修行するのは仕方ないが、これができるまでこれはやっちゃダメみたいなことは多分なくて、全部自分の責任でなんでもできると思います。