背伸びをしたらなにもかもお終いよ

音楽の話、自分の考え

俺が言う「俺の作品は分かりにくい」とは一体どういう了見だ?

「俺の作品は難しい」

「俺の作品は分かりにくい」

私はそういうことを言う。

なぜか?

別に深く考えてなかった。

テキトーな発言である。

あと、あんまりウケてないのできっと分かりにくいんだろうなという感じもある。

つまり「本当は良いもの」なのだけど、理解されてないという意味である。

だが、果たして本当にそうだろうか?

私の作品は、本当に「良いもの」なのだろうか?

「良いもの」だとは言い切れない。

そういうことについてちょっと考えると、まるで将来のことを考えた時みたいに、頭が真っ白になる。

つまり、問題が漠然としているのである。

はい。


まぁ、ちょっと好きなのよね。

「俺の作品は分かりにくい」って言うのが。

何度も言ってんな俺〜って気付いた。

お前それ好きやな〜、って。

ちょっとだけね。これ言うの好きかもしれない。

「俺の作品は難しい」

私はよく言うんですけど。

これを言うことで、薄い結界を張ってるような気がして。

電気風呂ぐらいの、触ったらピリッとする結界を周りに張ってる感じ。


「キヅミタの作品は難しい」と言う人もいるでしょうね。

だが、私はその人の言う「難しい」という「気持ち」が分からないわけだからね。

お前それ好きやな〜。

「その人が言う気持ち」って、私はよく言うんですけど。

好きなんですけどね。他人の気持ちとか。

(追伸:

好きとは言ったものの、それはドラゴンが好き、ライオンが好き、お化けが好き、みたいで、リアルに出会うと引いてしまう。

他人に乗り移りたいみたいなとこあるんですけど。

B’zの「今夜月の見える丘に」で、「例えば、どうにかして、君の中、あぁ、入っていって、イエーイ」って歌詞があるんですよ。

「その目から、僕を覗いたら、いろんなこと、ちょっとは分かるかも」と。

「愛すれば、愛するほど、霧の中、迷い込んで」

愛というか、興味である。

逆に「入っていただく」ということも出来るかもしれないな。

なんだったけ、入る方は。なんかそういう話がありましたよね。他人を自分の中に入れるやつ。そういうのいっぱいありそう。

ただ、自分か相手に入ったり入れたりするのは、あんまりよくないから、間に誰か一人、ラブホテルみたいな感じで挟んで、そこに2人が入るみたいな。。。

また物語の着想を得たぞ。

(追伸:

これが創作なのかもしれない


「俺の作品は難しい」

本当にそうだろうか?

難しいって、どうして難しいと言えるの?

難しくしてるきらいはあるかもしれない。

変にひねって、簡単な話を難しくして、いろいろごまかしたりとか、そりゃそんなのやりたくないけど、でも未熟ゆえにそういう失敗しちゃってるところもあるかもしれない。

かもしれない。


逆に「分かりやすい」ってなんだろう。

最近ニュースで「交通事故により何人かの子供が亡くなった」ということがよく放送されているけど、あれは分かりやすい事柄だろう。

つまり、可哀想で、憤りを覚える、ショッキングな話である。

「分かりやすい」の一つは「心動かされる衝撃的なもの」だろう。

ただそういう分かりやすいものに関しては抵抗がある。

それで人間が取り乱すのが嫌だ。

例えば、昔ですけど、私は母親が泣いたりするのが嫌だったんですよ。

泣く母親が嫌いだった。それは今も泣かれたくないのだけど。

別に私が泣かせたわけじゃなくて、まぁ人生でひどいことがあって、泣くんですけど。

「泣くな」と思う。

でも、私も普通に泣く時は泣くだろうからね。「泣くな」とは言えないんですけどね。

ただもう、「怒り」や「悔しさ」で泣いたりするのを見ると、浅ましいと思う。

ちなみにこの感覚、これを元にギャグにしたり、エロいものにしたりも出来るんですけどね。

ちょっと興奮してきた。

まぁ、それはいいんですけど。


要するに、私はそういう風に心を動かされるものが嫌いなんです。ショッキングな出来事で壊れそうになるものが嫌なんです。

まぁ、これは非常に、身勝手というか、まったく他人の気持ちを考えてない姿勢なのですけど。

もちろんそれで威張ってるわけにもいかない。


しかし、なぜ私は取り乱すものが嫌いなんだろう。

「弱いから嫌だ」というのは言える。

たまの「電車かもしれない」の歌声みたいな、情けないようなザマで、トロトロトロトロトロ〜っと、布団の中で泣く、あの感覚。

ちょっと興奮する。


「俺の作品は分かりにくい」

果たして何を以って「分かった」と言えるのだろうか。

自分と似てる人で、似てる意見であっても、まったく手応えのようなものを感じないことがある。

「言ってることは分かるが、感動しない」ということがあるのだ。

それは果たして「分かっている」のだろうか。

これは「分かる」ということと「感動する」ということを、同義に捉えている。

ただ、感動しても、その内容は人によって違うだろう。違うのに「分かってる」と言えるか。

私は太宰治の「人間失格」を始めて読んだ時、感動した。感動というか、衝撃を受けた。

どういう内容の衝撃かというと「こんな廃人になってまだ27歳って、人生これからどうするんだ?!」というものだった。

これは「分かってない」ですね。

「まだ27歳って、これから大変ねぇ〜」という風に感動したのだけど、人間失格で感動した他の人にこれ言ったら「分かってない」と言われると思う。

バカ話です。


「経験」。

大切な人を失くした経験、戦争の経験、いじられた経験、人を愛した経験、愛された経験、一番になった経験、頑張った経験。

心が動かされるというのは、経験とほとんど同じことだと思う。

つまり、私のこの考えはパンクあるいはロックの一種なのだと思う。

言葉や知識だけ知っても仕方ないという、生きることへの志向。

じゃあお前は生きてんのかって、そんなアグレッシブじゃないところが、多分、私が創作者ということなんでしょう。テキトーですけど。


何を言ってるんだろう。

こういう創作論みたいなこと語るとバチが当たる気がするな。


まぁ、なんか好きなんですよ。

「俺の作品は分かりにくい」と自分で言っちゃうのが。

中には「キヅミタの作品なんか全然難しくない、面白くもない、つまらん」という人もいるだろう。

俺はその「全然難しくない、面白くもない、つまらん」という「気持ち」が分からないからね。