背伸びをしたらなにもかもお終いよ

音楽の話、自分の考え

リスペクト

ア・トライブ・コールド・クエストが好きなんですけど、じゃあ好きな曲は何かと聞かれると答えられない。それは単純に曲名を知らないから。それのみならず、ATCQがどんな感じだったかも思い出せない。なのになぜ好きかというとそれにはちゃんとわけがある。

たまに音楽を自動再生で聴いたりして、「これいいな」と思うやつは名前を確認する。ヒップホップのジャンルでそういうことやって「これ良いな」と思ったらそれはATCQだったということがよくあった。いや、本当はよくあったかどうかは定かではないのだけど、割と印象付けられているのだ。

ここで私はATCQを「良いな」と思ったことは覚えているけど、ATCQの音楽の内容は覚えてないのだ。

「好き」というのには濃淡があるとしてこれは薄い「好き」だと思う。「それは好きとは言わない」という誹りを受けるかもしれないが、薄い「好き」なのである。もちろん本当に好きな人と「好きの度合い」で張り合うつもりなどまったくない。

この「薄い好き」も楽しいのである。浅瀬ちゃぷちゃぷという感じだ。趣味的であるが、「趣味」というのは嫌な言葉だ。私は「趣味」という言葉が嫌いである。話がそれてしまった。

「分からない地獄」にはまり込むことがよくある。音楽を聴くも分からない。辛い。少し分かったように思えても、自分が分かった程度のことは全然大したことじゃないような気がする。だから何も分かった気にならない。(そのくせ、心の中ではどこか分かってる風な慢心もある)。そういう地獄だ。

自分ディスをすれば、地獄は単に要領が悪いからであって、もっと才能が身についてたらちゃんと歯ごたえのあるもの噛めてると思う。

地獄でけっこう。大いに苦しむがよい。苦しみが人間を成長させる可能性がある。それでもやはり辛いのは困る。

なので、薄い好きを楽しむ。

「薄い好き」は個人的なものである気がする。

 

自分だけ知っているものには何の価値もない。価値は他人に通用して初めて生まれるものだからである。(おそらくこの不安にもすでになんらかの名前がついていることだろう。それはまたおいおい追求していこう)

他人にとって価値のないものを持つ意味みたいなのがよく分からないのだと思う。というか、これは強欲なのかもしれない。自分が楽しむに飽き足らず、他人を巻き込みたいという私の強欲があるのだろう。

自分というものが未だによくわからない。いい加減分かりそうなものなのだが、分からない。何か認めたくない事でもあるんじゃないかね。

 

「天国へ行こう。天国へ行こう。僕も君も空の上でドロドロに混ざり合って」

きくおの「天国へ行こう」って曲がめっちゃ好きですね。皮肉の匂いがする。こういうタイプのイノセンス感はめっちゃ分かる。

(なんで急にこの話をしたかというと、聴きながら書いてるからである)

 

でも私はきくおに金を払ってない。私の行動がきくおの収入に繋がることはあっただろう。例えばspotifyで聴いたりTSUTAYAでCDを借りたりはしたよ。でも作品を買ったことはないのである。

これが私が何度も言及している松本人志に対してもそうで、金を払ったのはだいたいTSUTAYAか広島の方にあるフタバ図書っていう本屋でDVDを借りるか、ブックオフで著作の古本を買うかくらいだった。

あとyoutubeに挙げられてるのとかを見ていた。

レンタルビデオショップや古本屋やインターネットにはめちゃくちゃ世話になった。というか今もなってる。

マジで最高すぎるだろ。ありがとうございます。でも同時にアーティストにももっと金を払いたい気持ちもある。

AmazonでビジュアルバムのDVDを買った。あときくおのCDも買った。大した金額じゃなかった。

(追記:

でもこれはキリがないよな。今はsquarepusherを聴いてるが、squarepusherのアルバムだって買ったことない)

 

これは思いついて近いうちに絶対やるけど、家の近くのビジネスホテルとかに籠って、音楽とか一人で聴きまくるやつやる。部屋が乱れてるので神経がかき乱されるのだ。

子供の頃とか公民館で勉強したりしたよな。そんな感じで好きなことを集中してやれる空間を演出したい。でも本当に意味あるんだろうか。私は公民館で友達と勉強しようってなっても出来たためしがない。

 

モチベーションが上がらんねん。いずれ寄席とかもいくぞ。

 

一言ネタ行きます。

 

・私のこと理解されたらどうしよう。シュミレーションしとかなくっちゃ。