背伸びをしたらなにもかもお終いよ

音楽の話、自分の考え

ペロッと分かるもの

映画とかで「この作品とこの作品は実は繋がってる」みたいなことあるじゃないですか。ぜんぜん知らないですけどアベンジャーズってだいぶそういう感じらしい。

あとシリーズものとか。「スターウォーズ」とか。

それからリメイク版が結構出てるやつね。「猿の惑星」とか。

あとは、小説があって、漫画があって、映画があって、アニメがあって、ゲームがあって、劇があって、という媒体がいっぱいある作品ありますね。


こういった作品に対して、いっぱいあることを「嬉しい!」と感じる人とがいれば、「大変!」と感じる人もいると思う。


私なんかは「大変!」って感じる方なんですよ。

はい。


本とか読んでて、残りのページが少なくなったら、「あぁ、終わる!楽しいのに終わってしまう!」みたいに感じることはありますか?

私はそういうのぜんぜん無くて、どんな本読んでもだいたい「早く終われ」って思うんですよ。


余裕がないんでしょうね。

生き急いでる感があるな。


晩飯を思って一日を頑張れたら素敵だと思う。


なんだろうな、「いっぱいあって嬉しい」というのは、味方になってくれてる気がするんだろうか。

自分の人生を彩ってくれる作品が、いっぱいあるということは、味方がいっぱいいるということで、だから嬉しいのかも。

それが「愛する」ということかもしれない。「愛読」とか、「愛聴」とか。そういうの。


ただ、私は読んだ本も、聴いたCDも、売ってしまいたい人間なのである。

(追記:

boothとかでアーティストから買ったメジャーじゃないCDとかは売る気がしない。誰かにあげる気はするけど。

なにかを持つのが嫌という気持ちがある。なんか知らんけどある。

なので私は味方などは求めてないのだろう。

ツラい。

何かを持ったらそれを守りたくなる。守らないといけなくなる。だが、果たして守れるのだろうか。私に自信はない。

余裕がないのだ。


余裕はどうしたら持てるのだろうか。

私の場合は、今の仕事に慣れれば余裕が持てると思う。


最近ぼんやりと思うことは、私の苦しみの多くは、育った地域に定着せず、そこの人間関係に属さず、そこで一つの仕事を続けなかったからではないかと思う。

だが、私には育った街を出るチャンス(実家にお金があった等)があったし、あそこでずっと暮らすことは耐えきれないものがあったので、まあこれは仕方ない。


YouTubeにいろいろ動画があるのは嬉しいですね。落語とかいっぱいある。


話はズレるが、私の作品が見つけにくいの申し訳ないと思う。タグを付けないの良くないなと思う。

タグをつけてくれるから、ヒップホップが聞きたいと思ったら、ヒップホップを見つけることができるわけだからな。

ものが簡単に見つかる世界って嬉しい。たとえそれが駄作でも意味はなんとでも引き出すことができるだろうし、あればあるほどいいんじゃないか。

今後はタグも考えます。


でもなぁ、ホッと作ってポンと出して「後は勝手に良きに計らえ」ってのが粋じゃねぇかという気もある。

それでいえば別に私は目立たなくてもいいわけだな。

「俺が俺が」もいいけれど、感動した作品について語ったり、ネットに転がってる音楽をあるテーマでまとめたり、何かが好きな人にその感動を語ってもらえるようなインタビューをするのだって、自分が直接作品を作るわけじゃないけどすごく良いものであると思う。

そういうことできる能力は私には多少はあると思う。でもそれはやっぱり大変。そういうことをできるようになったらいいよ。でもそれは「中国語を話せるようになったらいいな」くらいの話だ。大変だ。


ついでに語る。自分が作品を作ることと、他人の作品をまとめたり評価したりすることの違いは、一番大きいのは、自分で作品を作るのは、私の場合、「私以前のなにか」を取り出してる感じ。そしてなにか作品について語るのは(たとえそれが自分の作品であっても)、「私以後のなにか」について語ってる感じ。

テキトーっていうか、フワッとしたような言葉ですけど。「私以前」とか「私以後」ってなんやねん。

もっと考えます。


ではまた