背伸びをしたらなにもかもお終いよ

最近は雑記になってしまっている

眠れないよ

音楽を作らずに生活の細々したことをやると生きやすい気がする。

ドラゴンボールの人造人間18号がセルに寝取られてる画像があって、「なんだそういうことだったのか」と人造人間18号は自分の存在意義が「セルの精子を受精し続けること」だと理解するのですが、その気持ち分かる。

今まで作曲にかけてた時間を生活に割いたら豊かだもの。部屋を掃除したりさ。なんだそういうことだったのかって感じ。

でもまぁ、その豊かさから新たな私の音楽が生まれるというわけであってね。音楽はやめないんですけど。

私ね、もういっそ冬の風物詩になろうかな。

どういうことかというと、一年のうち冬頃に作品を発表するというね。

まあ一年、ちまちま急がず何かを作って、そんでだいたい毎年冬頃にそれを出すというね。

やっぱりね、作り続ける人は偉いですね。

というか、私だって作り続けたいのでね。

(そういうと揺れる心の反作用で「いや別に作らなくてもいいんじゃない?」と言いたくなるけど)

まあ、いま思ってるのは、みなさんの私に対する信用についてですよね。

「信用?金を借りるの?」ってわけではなく、ただ信用があれば、みなさんに安心を与えることができると思うわけですよね。

だからね、「キヅミタの音楽はまた出るだろう」という、安心ですよね。与えたい。

あのねぇ、前に電車の広告で見たんだけど、それは洋服屋の広告だと思うけど、昔風に言えばお店(たな)の大旦那らしきハイカラな老人が、ズボンの仕立て道具の巻尺見たいなのを持って、仕立て台で作業をしてみせながら、笑ってるやつなんだけどね。

好きなんですね。

私もああいう風になりたい。

それはもう一昔前のテレビの司会者みたいな感じが近い。

桂小金治とか?知らんけど)

80年代とかのね。まあ私はまだ生まれてないけど。

エンターテイナーですよね。

私が悲しみのどん底で死んで、エンディングが流れて、そのBGMスコット・ジョプリンの「エンターテイナー」っていう感じの動画を作ってTik Tokにあげようかな。


泣きながら首を吊ろうとするキヅミタ

なんかセリフを言う

ぶらーん

画面が真っ暗になりスタッフロールが流れる(ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん、ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん、ちゃちゃちゃちゃん ちゃちゃん ちゃん、ちゃっ)


まあいいや


年一で出すとなれば、まあ忘れられないだろう。

それぐらいがちょうどいいのかもしれんな。箔もつくかも。

でも12月に出すのは違う気がする。

12月はごちゃごちゃしてるからな。大晦日とクリスマスがあるからな。

出すなら11月だ。素数っていうのもポイント高い。

滅茶苦茶HAPPY劇場も11月に出したし。

マイルドモンキーは12月だけどな。

11月の、そろそろ終わりだねぇっていう、まだ余裕があるところで、キヅミタの新作が出る。

いい感じじゃないの?

好きだな、11月。

「今年もあともうちょい頑張ろう!」って感じで出す。

まぁ年が明けたところで何かいいことがあるわけでもないが、こう、なんとかかんとかやっていくのにね、楽しいことがあればいいじゃない。

今年は何も出さないけどね。


ところで私の作ったアルバムは全然ダウンロードされてませんね。

チョコレットEPなんかね、バレンタインに出すというコンセプトですよ。それがバレンタインのうちにダウンロードされたのうろ覚えだけど、一回だったか、ことによればゼロだったかもしれない。コンセプトまるで意味ないやんけ!


私の音楽を待ってる人が仮に一人だけいたとしよう。

私はその人のためには音楽を作らない。

100人いれば少しは考えるけど、まぁ基本的に自分のためにやっている。無責任にな。


まぁな、私が「誰かのためにやってあげてる」というのでは、続かないよな。結局は、自分で気になるから、やっちゃうという、そういうことなんですけどね。


この私を認めよ。


ところでさ、

大御所の芸人やタレントって、凄さイマイチピンとこない現象ありますよね。

例えばビートたけしって、いろいろ知る前は全然喋れない人だと思ってた。

でも、昔の漫才とか見るとめちゃくちゃ早く喋ってるし、最近はテレビ見ないから知らないけど、テレビ見てた頃だってけっこう喋ってた。

そういう現象なんなんだろうな

大御所のすごさわからずに逆にこれポンコツじゃないの?みたいに思うやつ

タモリのすごさとかね。分かんなかったりする。

古今亭志ん生って落語家のすごい人がいるんですけど、私は全然知らないから「志ん生って落語ちゃんとできるのか?」って、もう知ってる人から見たら「キヅミタとかいうのとんでもねぇバカだな」と思われるような見方してしまうからな。「志ん生って噺を10個くらいしか知らないんじゃないの?」という、見くびりをしてしまう。

それは私が無知だからだと思う。無知は怖いね。

それはそれとして落語は面白いですね。まだ寄席に一回も行ってないけど。


日本の文化というか、バックグラウンドとしてのデカい集積というのにアクセスするにはいろいろな道があるんだね。私は最初、歌舞伎や能からそれに入ろうとしたけど、難しくて全然身が入らなかった。

今それが私は落語からそこに入っている最中で、良かったです。


80歳の俺の人生最後の作品がその時代の新進気鋭の若い者の丸パクリだったらウケるな(俺はその若者を知らず二番煎じに気付いてないというね


ネットをREAD ONLY MEMBERしてた間に何個か遊びを考えた


・田崎死んじゃったなぁオフ会

初対面だが、共通の友達「田崎」が出先で死んだという話をする遊び


・共有しようのない絶対知らんやんって個人的な思い出を語ってもらい、自分はその場にいたしまるで自分と相手が同じ人間であるかのように同じことを感じたというていで同意しまくるゲーム


・タクシーの女性運転手役をしてもらいきちがいの客として話しかける

「コバエとるやつを買ったんですよ

どこから入ったのか湧いちゃって、でも安物だったからなかなか効果がなくてね、それで

あ、そこ左です

今日ね、駅でうんこ漏らしてる人がいたんですよ」みたいな感じ。



こんなもんかな。